大久野島の帰りに、安浦漁港の駐車場に駐める。
生かきの直売所が立ち並ぶ先端部に、二隻のコンクリート船・武智丸が防波堤として
活躍中。
三津口湾に防波堤が無く、度々台風被害を受けていた。
当時、湾は軟弱で、土木建設が困難。
昭和24年、地元漁業者の要望により防波堤として、コンクリート船の払下げが
認められ、呉と大阪から、1隻づつ曳航され、三津口湾に設置された。
第一武智丸は昭和19年、鋼材不足を補うため、兵庫県高砂市にある
武智造船所で建造され、武智丸と命名された。
全長64.5m、幅10m、深さ6m、総トン数は800トン。
数々の空襲、機雷にも耐え、戦後まで石炭等の軍事物資を積載し、
瀬戸内海を航行した。
戦争遺構が防波堤として、現在も役目を果たしている。
実に感慨深いものを覚えた。 (伸)
(やすうら夢工房HPから抜粋引用)